高校野球の夏 思い出は親の愛

私の経験

私は小学1年生から高校3年間まで、野球をしていた。

やっていたとは言っても、

小学校低学年のころなんていうのは、ただグラウンドに行って、なんか上級生のやっていることを見て帰る、みたいな感じでしたけど(笑)

なんなら小2のとき、長靴でいったこともあったな。

それも仕方ない。

2年生の次女をみていると、色んなことがよくわかっていないことがわかる。

小学校2年生、長靴、仕方ない(笑)

その後は、チームの主力として、高校3年までやり遂げた。

高校を卒業したあとは就職の道を選んだのだが、野球は全くやらなくなった。

なぜかやりたいという気持ちにならなかった。

それでも、夏本番前のニュースで組み合わせ抽選会の映像を目にしたとき、あの頃のことを思い出す。

何年もやっていたんだ。そりゃそうだよな。

一番記憶に残ってるのは、通算1本のホームランを打ったこと。

それから、ケガに悩まされたことだ。

スポーツをやっている人には、どうかケガなく競技人生を過ごしてほしいと思う。

ケガはなくてもいい思い出だから。

けがの原因は体が固いことだった

私はとても体が固い。固さを表現するのは難しい。

長座体前屈でどこまでいけるか?

それだけでは測れないけれど。

ちなみに、長座体前屈は、足の指をもつことができる。

ただ、膝裏はガバガバに空いている。

つけなさいと言われても、つかない構造になっている。

そういう固さだ。説明が難しい。

背中の方で両手を斜めにつなげるか。

背中なのでよく見えないけれど、かるく拳ふたつ分は届いていない。

頑張ってみたけど、届かない構造になっている。

手をテーブルにおき、背側に指を1本ずつ上げると、45度しか上がらない。

テーブルから45度。

どうやら、それ以上は曲がらない構造になっている。

どこをとっても、柔らかい部位がみつからない。

結局、この体の固さがトレーニングの負荷に耐えられず、最後の夏の甲子園予選がある春に、股関節を痛めてしまった。

股関節を痛めると、

全力で走ることはできない。

下半身に力を込めてバットを振ることもできない。

もちろん、投げることにも影響する。

絶望的だった。

絶望の夏 親にもらった愛

それでも、わたしの両親は諦めずに、プレーできるようにと腕利きの整体などを探してくれた。

家から車で30分くらい、福岡の椎田というところに整体につれていってくれた。

それでもじゅうぶんではなかったから、

車で50分ほどの健康保険が利かない整体(1回5000円くらいだったかな)などにも何度も通わせてくれた。

我が家の家計に、余裕があるわけじゃないのはわかってたよ。

それも、仕事が終わった夕方に連れていってくれた。

なんとかしようと、必死にやってくれた。

いま思うと、親の愛をたくさん感じたし、それに応えようと気持ちが体を動かした。

結局、最後の大会には打席数を一試合3回までに限定して出場させてもらい、チームの勝利にも貢献することができた。

私の親は、これで試合にでれていなかったら、ひどく後悔すると思って治療にあたらせてくれたんだろう。

ありがとうと言いたい。

今年ももうすぐ甲子園が始まる。

どの球児もケガせずに、たくさんの思い出を作ってもらいたいな。

さー!夏だ!!

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