私は6人家族で、4人兄弟の末っ子としてこの世に生まれた。
ネットで調べてみると、4人以上の兄弟は全体のおよそ3%程度しかいないらしい。
私が生まれた1986年と比較すると、間違いなく減少している。
そして、4人兄弟となるとやっぱりお金がかかる。
お金がかかることが問題で、4人も授かれないという方もいることだろう。
私がこどもの頃住んでいたのは、8畳ほどのリビングにトイレの扉があるという、今では考えられないような作りの古いアパートだった。
こども部屋は4人で8畳ほどの広さをシェアしていたが、7歳年上の姉からしたら中高生の頃なんかは過ごしにくかったんじゃないかなと思う。
そんな我が家、兄弟が多いというだけが貧しさを生んでいたわけではない。
父が生活費を削ってまでパチンコをするような状態だったので、それが家計を圧迫していたのは母親とこども全員が理解していた。
そんな裕福ではなかった子供時代。
私の一部分を形作った家庭のことなどを、勝手にノスタルジーを感じながら振り返ってみたいと思う。
【パチンコ依存の父】
父は競馬や麻雀などはせずに、もっぱらパチンコをしていた。
平日毎日というわけではないが、週の半分は行っていたと思う。
資金が尽きればまっすぐ帰ってきて、焼酎を飲みながら野球ナイターでチャンネル権を独占。
休みの日なんかは、パチンコ屋の朝10時のオープンから閉店間際の21時までいることもしばしば。
休みの日なんだから早く切り上げておでかけしよう!
と言いたいところだけれど、
パチンコにでかけるときは、夜まで帰ってこない方がよい。
早々に帰ってくる=負けた
ということだからだ。
さらに、負けた分を取り返そうと生活費を母から取ろうとしたりもするので、その光景を見るのが当時はすごく嫌だった。
いま思うと、好きなパチンコとはいえ、そんなに長時間座り続けていられることに感心してしまう。
ドーパミンって怖いな。
【昔ながらの父親像 反面教師となる】
私のこどもの頃の父親像というのは、
昔ながらの頑固なおやじと
現代的パパの過渡期だったように感じる。
我が家の父は断然頑固おやじの方です(笑)
頑固おやじは家事をしません。
料理、掃除、洗濯、買い物、何もしないのです。
母がパートタイマーということを差し引いても、父が全く何もしないというのは母に負担が偏りすぎている。
でも、父にはそれが当たり前なのだ。
生活費が本当にカツカツの時は、わかりやすく食事が変わります。
とくに記憶に残っているのは、家族内で「ラーメンライス」と呼んでいた料理だ。
「ラーメンライス」とは、大きな鍋に袋に入ったラーメンを5人分作って、それに残り物の野菜を炒めて乗せる。これに白ご飯をセットにすると
「ラーメンライス」だ。
私たちの母親は料理をしっかり作ってくれていたので、これは母親としてはあまりしたくなかったのかもしれない。
けれど、たまに出てくる「ラーメンライス」は、私の好きなメニューだったので、これはこれで嬉しかったものだ。
家事しないギャンブル依存症の頑固おやじ
家事育児に奮闘し、家計をやりくりした母
この環境で育った私は、家にいていつも頑張っている母の姿を見てきたからか、家事をやるほうの人間になった。
頑固おやじの血を継いでいるので、どちらに転ぶ可能性はあったと思うが、協力的な思考を獲得することができて本当に良かったと思う。
【両親よ セカンドライフは穏やかに】
かつての頑固おやじも間もなく前期高齢者となる。
数年前に脳出血で入院したり、今度も大動脈瘤の手術が控えていたり、意識的に健康に過ごすことが必要となっている。母も然り。
今はもうパチンコにもいっていないようだし、以前のようにアルコールをたくさん飲むこともしていないようだ。
たまに実家に帰り話を聞くと、母と二人でお店にモーニングコーヒーに行ったり、ごはん屋さんの開拓をしたりしているらしい。
あの頃には考えられなかった時間を過ごしているようだし、その話を父が楽しそうにしていたので、素直に嬉しかった。
子供たち4人もあと2年で全員が40代へ突入する。
皆で集まると私はそんなに歳をとっていない気持ちで会話をするが、会話に健康・病気の話題が増えてきたので、加齢を否定することは難しくなってきた。
それでも、そこにいて当たり前の家族がいつまでも健康で居続けてほしいと私は願って止まない。
何歳になっても私は両親のこどもだから。
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